多様性のある学び 浮きこぼれや生きる力に見る知識欲の重要性

近年、「多様性を尊重する社会」というワードが浸透し、互いの価値観を認め合おうという雰囲気が醸成されつつあります。このような社会に子どもたちを送り出すには、自分や周りの人の個性を尊重し、互いの能力を伸ばしながら生きる力を養うことが欠かせません。障がいや宗教など多様な背景を持つ子どもや、落ちこぼれや不登校といった子どもたちについては対策がなされてきましたが、学校の授業が簡単すぎて苦痛に感じる「浮きこぼれ」の存在はこれまで見過ごされてきました。
すべての子どもの学ぶ意欲と教育を受ける権利を守り、子どもたちを伸ばすためにどのような取り組みが行われているのでしょうか?

すべての子どもたちの教育を受ける権利を守る―多様性のある学びとは

ひと昔前の学校といえば、協調性や集団行動の大切さに重点が置かれており、みんなと違う意見を持つことやみんなと違う行動をとることはワガママで和を乱す行動と見なされ、歓迎されるものではありませんでした。同調圧力的な「出る杭は打たれる」といった、個性を潰しかねない雰囲気が長らく残っていたのです。
その後グローバル化が進み、社会そのものの価値観が変化していきました。多様性が表面化したことで、それぞれの個性や能力を活かして活躍することの大切さに多くの人が気づいたのです。

さらに現在では、「科学技術の進歩によってAIが多くの人の仕事を奪うのではないか」と懸念されています。こうした社会において生きる力を身につけ、機械ではできない独創的で自由なアイデアを生み出せる人材を育てるためには、画一的な横並び教育ではなく一人ひとりの能力と個性を大切にし、伸ばすことが欠かせません。
最近、「筆算の線を定規で引かなければ減点」といった事例が「学校の謎ルール」として話題になっています。この例では、視覚的に汚いと桁がずれ計算ミスにつながる、といった理由があるようですが、定規なしでもある程度線がきれいに引ける子や計算が得意な子にとっては思考スピードに合わない作業となってしまいます。現状の教育現場は、すべての子どもたちにとってのびのびと知識を吸収し、学ぶことを楽しめる土壌ができているとは言い難い状況です。
知らなかったことを知る、本来であればワクワクするはずの「学び」はいつ「勉強」という「つまらない時間」に置き換わってしまうのでしょうか?

落ちこぼれ、浮きこぼれ、不登校…主体性のある学びで生きる力を養う

子どもはそれぞれ個性、つまり特性や特徴を持ち合わせていて、適した学び方もそれぞれです。子どもを取り巻く環境として、家庭の経済状況や親の教育への関心、その子の個性に対しての理解や、学びの楽しさを損なわない環境を与えられるかが重要です。

この環境によって学力に差が生じないよう、自治体や学校でもさまざまなフォローが行われていますが、学ぶ意欲があっても意欲を失ってしまう子どもや、「浮きこぼれ」、不登校になってしまう子どももいます。学校はこうした多様な子どもたちの学ぶ権利をどのように守り、知識欲を育てながら学ぶ機会を与えることができるのでしょうか?

文部科学省は2020年度より、新学習指導要領をスタートさせました。この中で、「何を学ぶか」だけでなく「どのように学ぶか」を重視した「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」を強調しています。

その例として、ある小学校で行われた6年生の授業「未来の街づくりプラン」を考えます。それぞれが自分の街を良くする方法を調査し、パネルディスカッションを行いますが、その過程で自分と違う他の人の意見を知り、自分の考えを磨く方法を学びます。

浮きこぼれの顕在化から、新たなアプローチも始まろうとしています。学校によっては画一的な教育課程だけでなく、授業編成や授業時間に柔軟性を持たせるなど、自分で選択できる講座学習やギフテッド教育を取り入れている学校もあります。ICT機器やタブレット端末の活用も効果的です。たとえば、図画工作でコマどりアニメーションを使って表現や思考力を養うという取り組みがありますが、こうしたさまざまな手法によって行われる授業は子どもの好奇心を刺激し、知りたいという知識欲を刺激するきっかけになるかもしれません。


マイノリティの知識欲と教育を受ける権利を尊重 多様性を認め合う教育とは

学校では障がいの有無や人種、国籍、宗教など、さまざまな背景を持つ子どもたちがたくさんおり、多様性を大切にする教育が行われています。これは、異なる背景を持つすべての子どもたちの教育を受ける権利を守る「ダイバーシティ教育」「インクルーシブ教育」に基づくものです。

例えば、障がい者スポーツを通してハンディキャップを体感したり、学習障害などで読み書きや図形の認識が苦手な子どもには、画面をタッチすると内容を読み上げてくれる音声教材などのサポートがあります。
ほかにも、外国の文化を紹介する授業や講演会など理解や関心を促す取り組みや、日本語能力が十分でない子どものためには日本語教室や特別授業でサポートしています。
また、宗教的に異なる背景を持つ子どもの服装や給食など、柔軟に対応している例も増えているようです。
このように、すべての子どもは小さな体験を積み重ねながら、「みんな違ってみんないい」という違いを尊重することを学んでいきます。そしてマイノリティだけでなく、自分の個性も尊重されることを、マジョリティである側も知ることが必要です。

小さな子が「なんで? どうして?」と大人に質問攻めをするように、知らなかったことを知り、できなかったことができるようになることは、本来とても楽しいものです。学校の画一的な「勉強」が苦手だったり、障がいがあったり、日本語が十分理解できなくても、子どもたちには学びたいという意欲の種があります。学校はこうした子どもたちの知識欲をつぶさず大切に育て、それぞれの個性を伸ばせる場であって欲しいものです。
今、注目されている多様性を守る「ダイバーシティ教育」が、それを可能にしてくれるかもしれません。


まとめ

私たちの社会がこれからもっと成熟し、さらなる発展をしていくためには、「みんな一緒でないといけない」というバイアスを取り払い、一人ひとりの個性と能力を発揮することが肝要です。そのためには、安心できる学びの環境と学びたい気持ちを育て、個性をつぶさない配慮や周りのサポートが必要となります。
学校で多様性を尊重することを学んだ子どもたちが、未来でどんな活躍をするのか楽しみですね。


[参考]
内閣府:
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201903/2.html

文部科学省:
https://www.mext.go.jp/content/20230911-mxt_kyoiku02-000031857_01.pdf
https://www.mext.go.jp/content/20210126-mxt_syoto02-000012321_2-4.pdfhttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/1378518.htm

独立行政法人 教職員支援機構
https://www.nits.go.jp/service/activeLearning/achievement/jirei/jirei204.html

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